江戸時代人は低身長だけど、びっくりするほど大きい男もいた。これは我らが蓑虫山人が江戸時代の巨漢力士・大空武左衛門を描いた絵。彼の異名は「牛跨ぎ」。身長は227センチと、なんとアンドレ・ザ・ジャイアントよりもでかい。ただし想像図。誇張しすぎ。 pic.twitter.com/tkiFXQOy96
— 縄文ZINE (@jomonzine) March 25, 2025
同じく227センチの力士、生月鯨太郎。歌川国芳の版画だけどこちらも誇張しすぎ。ただし、体感的にはこんな感じだったのかも知れない。 pic.twitter.com/VB5sdbFNsz
— 縄文ZINE (@jomonzine) March 25, 2025
縄文人、これ153cmくらいやろ。何サラッとポニテでドーピングしとんねん pic.twitter.com/4C1Q0m63yv
— 日野の2トン (@TWldXBXrnVDFmxZ) March 25, 2025
江戸時代は動物性タンパク質が魚に偏っていましたし、人口が飽和状態で飢饉もたびたび発生したからですかね。でも小さく弱い人でも生き残れたのだとも考えられます。
— 甘党猫が通りますよ (@Future_Men) March 25, 2025
例えば武士に限れば、戦国時代はかなりの高身長だったとも聞く。体の大きい赤ん坊を残し、小さく弱いのは間引いていたとか…戦う中ではそらそうだろうね。
— RYO (@Rioybs) March 25, 2025
そして平和な江戸時代になって、体の小さい者でも生きられる様になったのではと考えている。
江戸時代は人口飽和、肉食否定、寒冷化、富士山噴火、田沼失脚、質素倹約令の繰返し、元禄以降ほぼ経済成長を諦めて上から下まで基本貧乏、小さくなるのは当然。
— Theurgy (@zenMyoshokisen3) March 25, 2025
米の生産量が増大し、肉食が従来に比べて(肉の品目は多くても)量が減ったようで。
— 武図書 (@take10syo) March 25, 2025
新田開発で里山周辺でも鳥獣が減り、従来よりも猪や山鳥の類を採るのも大変だったそうで。
上からの強制ではなく、食べ物としての米への偏重だったからとも。
子供心に「なぜ古代より江戸時代が低い?」と思い、その結論を食文化の違い(肉食禁止)の普及と位置付けた。
— 青年H 〜あるいはヒゲとボイン〜 (@echiechitokyo) March 25, 2025
だが今になって思えば、統計の信頼性を確かめるべきだと思う。
出土する人骨の絶対数や子どもの骨の少なさも起因してると思う。
西郷隆盛も大久保利通も六尺つまり180センチの大男だった。
— takeokonchan (@takeokonchan) March 26, 2025
薩摩は豚や鶏やさつま芋食っていた。
コメと漬物ばかり食べていた江戸の人間は身長も低かった。
やはり当然ながら栄養しだいという事ですね。
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